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2010年8月 6日 (金)

☆子供は世界の宝物☆

とある公園でのひとコマです。

セミとりに夢中になる四人の子供たち。

一番小さな子が、ニッコリ微笑む私の顔と、胸にぶら下げたカメラを興味深く交互に見ていました。

近づいて、話しかけます。

『いっぱいとれた?^^』

返事はなく、今度は私の腕にあるコンビニ袋に目が釘付け・・・・。

中には飲み物が入っています。

『買ってきたばかりだから、冷えてるよ。飲みたいの?』

少年はこっくりと肯きます。

そこへ他の子たちも参戦し、回し飲み大会の始まりです(^^)*最初の写真*

涙目(笑)で、一番小さい子がゴクゴクとやります。

心優しいお兄ちゃんとお姉ちゃんたち。飲む順番は、ちゃんと小さい順です(^^)

それを見ていた私は、なんだか心洗われる気分♪

ふた回りで、ペットボトルは空になりました。

『ありがとうございました♪』

と、ちゃっかり空のボトルを私に手渡します(笑)

『どういたしまして♪』

2010年の夏。私にまたひとつ、素敵な思い出が出来ました。

子供は世界の宝物ですね(^^)

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捕っても、ちゃんと放してあげるんだよ?

セミの命は短いんだからね?(^^)

ねえってば! ちゃんと私の言うこと聞いてる?(笑)

聞いていないみたい(^^;)

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

いいことしましたね(~o~)

でも、それを撮ってるねえちゃんって子供から見たら違和感あったやろなぁ(~_~;)

京都の変人さん

こんばんは(^^)
>それを撮ってるねえちゃんって子供から見たら違和感あったやろなぁ(~_~;)
ぜんぜん? 私の特技は、子供たちに警戒心を起こさせないところなんですよ~(^0^)
うらやましいでしょ?
女って、得ね♪
最近は、最強ツール!の『ガリガリ君』が子供たちを引き付けるのに効果的なんです(笑)
そう考えると、ただ『アイス』でつっているだけかも(^^;)

素晴らしい子供達ですね!
小さい子順で飲むとは・・・感心です。
それにしても杏さんも優しいですね!
子供達の為にも今私たちに出来ることをしっかりとしなければなりませんね。

65年前の8月9日長崎で私の父は被爆し建物の下敷きになりながらも奇跡的に命が助かりました、だから私はこの世に生まれてくることが出来たのですが・・・今年1月に父は他界しました。一人の大人として、そして被爆二世として自分に出来ることはしなければならない、しっかりと実行していきたいと思っています。

今、日本は国家としての成立が危ういと思っています。
子供達の為にも将来に日本を存続させなければなりません。
日本は官と民が一体になり日本ブランドをしっかりと確立するブランド戦略を立案しワールドワイドでしっかりとリード出来るものがなければならないと思います。

例えば自動車業界においてですが、トヨタ、日産、ホンダなどなどの企業がそれぞれマーケットにおいて競争するのは良いのですが、日本ブランドとしてコラボして自動車を生産出来ないものでしょうか?
また、平行して特にアジア諸国との外交を深め、過去における償いも含め基盤を創らないとその日本ブランドも成果が出せないと思います。

宝物である子供達の未来の為に・・・!!

私は日本ブランドの確立(自動車業界ではありませんが)に関わるとともに、唯一の原爆被爆国である日本として世界に平和をと人間の自然との共存をテーマに写真を撮っていきます。

ご協力をお願いすることがあるかと思いますが、よろしくお願いします。

安藤さん

こんばんは(^^)
私も安藤さんのお考えに100%賛同いたします(^^)
『日本ブランドの確立』や『被爆国としての自然保護、平和の提案』は恒常的な私たちの願い
でもありますね。
私たちの時代にそれを実現するのは難しいかも知れません。もしかしたらこの子達の孫の時
代になって、初めて理想的な社会が実現するのかも知れません。けれども、次の世代のため
に、ひとつの道筋を立てることは可能だと考えます。
ただ、物質的な繁栄は、あくまでも『手段』でなくてはなりません。
子供達には、真に行き着く目的が何なのかを教える義務が大人にはあると思うのです。
それが何なのか? 凡庸な私には『慈愛と平和』の言葉しか思い浮かびません。
けれどもそれが真理なんだと、そう信じたいですね。
>小さい子順で回し飲みする。
この事実に希望の光が見えますね。
>ご協力をお願いすることが・・・・。
微力でよければ、もちろんご協力させていただきますよ(^^)


杏さん

おっしゃるとおりですね、私も杏さんのお考えに100%賛同します。
しかしながら難問だらけですね・・・でも出来ることからひとつひとつ着々と前進しなければと思っています。
「慈愛と平和」難問中の難問かと・・・。
その為にも日本の教育そのものを抜本的に是正しなければならないと思います。
特に勉強という意味そのものから・・・勉むことを強いるって本当に理解に繋がるでしょうか?私は疑問だと思っています。まず、それぞれの個人がそれぞれが興味をもちその興味の対象となったものを応援支援する環境が必要ではないでしょうか。
自らが興味をもったものは当然に積極的に前進します。その前進を促す環境ということですね、またそれぞれの個人がそれぞれの考え方や意見などなどがあって当然ということを認識出来る環境も重要だと思っています。そうしないと皆と違うことをするなどがきっかけで「いじめ」が起きたりする現代を是正することが難しいと思います。
お互いがそれぞれの個人を認め合う環境が必要ではないでしょうか。
私はUKに住んでいたことがあるのですが、その時日本を客観的にみれたことがとても良かった、この時少しオーバーかもしれませんが、日本は自由を否定する国だということを知りました。もちろん本来の自由という意味です。即ち自由=その個人が自分である為の理由という意味です。また、この世の中の仕事というものは人々の生活を豊かにする為のものであり、それは人々の役に立つことでなければならないということを幼少時代から教える必要があると思っています。だから学問は素晴らしいのですが、そもそも人の役に立つことが根本にあって学問なんだということを教育すること、それは日々の生活から学べるということですね・・・。長くなりました・・・この辺にしておきます。
一言で言うとそれぞれの学科を横に串刺ししたものが生活であるということ・・・・です。

杏さんが、あげたジュース、なんなんだろうな、自分が子供の時って、そういうことあったし、
他人から、子供というだけで、何かもらえるということがあった。
地蔵盆なんか、その場所を、通りがかっただけで、お菓子もらえたし・・・

でも、難しいのは、こういう行為を、非常に悪意をもったヤツが利用しようとすること。
杏さんじゃなく、どこかの変質者が、ジュースをあげて、その中に、何か入っていたらどうする?
私は親じゃないけど、親だったら、もらった親切に感謝もするかもしれないけど、
知らない人から物をもらう、自分の子をしかるのでないだろうか。
アメリカのハロウィンでも、近所を回る子供に、お菓子のような形をした薬を渡した変質者が居たりして、
それ以降、親が、子供について回っている。
渡すほうも、手作りのクッキーとかではなく、必ず包装された市販品を渡すのが暗黙のルールのようになってしまいっている。

そういう難しさを感じました。

杏さんの好意は、子供には伝わって、将来、いい思い出になると思うよ。
でも、子供が大人になったとき、まだ、独身で、カメラ片手に公園徘徊してたら、
あの人もね~昔はね~になるからね・・・・

安藤さん

>自らが興味をもったものは当然に積極的に前進します
好きこそものの上手、ですね(^^)
イギリスで安藤さんが感じられた事も興味深く拝聴しました。
自由の定義って難しいですね。個人が思うがままに行動する自由でしょうか? それとも
『存在するために抵抗しなければならない』としたカミュの言葉が表すように、彼を束縛した
何物かを取り払った後に残る、精神的な自由の事でしょうか? 
そもそも自由主義って何でしょうか? 多くは資本主義と混合しがちですけれども、私には
その定義が分かりません。
でも、『自由』というものには必ず『責任』がセットで伴うものなんだと、最近そう考えるよう
になってきました。義務を果たしてこその権利、みたいな考えです。
社会へ対しての責任(義務)を果たし初めて享受できる自由(権利)だと考えますと、何と
なくですけど『自由』の本質が見えてくるのかも知れませんね。
だとしますと、学問(教育)の原点にはまず『あなたが国家や社会やコミュニティに対して
何が出来るか』という奉仕精神を教えるべきなのかな、と思います。
これはケネディの言葉そのもの、ですね。
IQ30程度の私にはこれ以上頭が回りませんので、私もこの辺にしておきます(笑)
ところで、我が家の冷蔵庫には、ガリガリ君が6本冷凍されています。
明日この『ギャラ』を受け取るお子さんは、一体どんな喜びを私に与えてくれるでしょう(爆)

Nobuさん

ご心配には及びません。
とある公園とは、いつもの近所の公園でして、なので当然子供たちやその親御さんは私の事を
よ~く(同級生も多々)知っておりますから(^^)←変わり者扱いとしてもね(笑)
それより何より・・・。
>子供が大人になったとき、まだ、独身で、カメラ片手に公園徘徊してたら、あの人もね~昔は
>ね~になるからね・・・・
これが問題なの(^^;)
顔見知りの子もすでに何人かは中学生になり、以前は私を『お姉ちゃん』と呼んでくれたのに、
陰では『おばちゃん』と呼んでいるとの聞き捨てならない噂も・・・・(ガッデム!)
ママ(同級生の姉)に文句つけておきます(爆)
>どこかの変質者が、ジュースをあげて、その中に、何か入っていたらどうする?
そういう意味では私が住む地域のコミュニティは防犯上よく機能していると思います。
私自身が彼ら(子供たち)の厄除け女役ですから(笑)
だって本物の犯罪者は私に近づいてきませんし(ちょっと複雑な心境?^^;)

>そういう意味では私が住む地域のコミュニティは防犯上よく機能していると思います。
>私自身が彼ら(子供たち)の厄除け女役ですから(笑)
そりゃ、よかった・・・(^^)v
厄除け女で、厄女ではないことを祈る!
それと、母親と同年代の女性を見て、おねぃさんと呼べというのは、物理的、心理的に無理。
そういうことを、強いるのは、Child abuseだから、したら駄目よ・・・(^_^;)
きっと、トラウマになってしまう。

Nobuさん

>そういうことを、強いるのは、Child abuseだから
ぷぷっ! アメリカ的ですね。
でもそれもご心配には及びません。ここは日本ですから(笑)
日本には日本の風習が、アメリカにはアメリカの風習が、ですよね?(^^)
もちろん日本もアメリカもどちらの風習も正解だと思います。
ちなみにガリガリ君(6本所有)のうち4本は予約済みです(笑)
ぜんぶソーダ味なので、チョコがいいとかワガママ言ったらあげないつもりです(笑2)
あと2本・・・明日の朝には、たぶん1本に・・・(爆)

自由に生きるって結構大変なんだなとはじめて感じたのは、ジャニス・ジョプリンの
「Me & Bobby McGee」なんてのを聴いたときでしょうか(^!^;)。だって、最愛の恋人で
さえ自分の自由とは引き替えられないと歌っていますから。

浜田省吾は「自由に生きていく方法なんて100通りだってあるさ!」と歌い
ましたが、ジャニスはたった一つだと歌います。西欧人に比べ、日本人の考
える自由って少し考えが甘すぎる気がするのは私だけでしょうか(^!^;)。

夢野途中さん

こんばんは(^^)
>最愛の恋人でさえ自分の自由とは引き替えられない・・・・。
困りました・・・(^^;)
日本人が考える自由って少し考えが甘い、という部分は私もそう思いますけれども、
ジャニス・ジョップリン?のはちょっと賛同いたしかねます(汗汗)
やっぱ私は浜田省吾さんの100通り(これもちょっと多すぎますけど^^;)に1票かも
知れません・・・。でもでも、前のコメントに述べました通り、100通り全てに『責任』を
負う、という前提条件つきです・・・・はい(汗)
う~ん・・・難しい話になってきましたね・・・(汗汗大汗冷や汗)
ガリガリ君食べて頭を冷却する必要が・・・(笑)

「自由」とは「自」分である為の理「由」と認識しています。
従って英語でいうと"Identity"です。
だからこそ自己責任なんです。
また、人によって"Identity"が異なるのは必然です。
だからこそ個性があるのだと・・・。
日本人はIdentityを持っている人が少ないと思います。
日本人の多くは「周囲と同じことをしておけば間違いないだろう」が実態ではないでしょうか。日本語そのものにも特徴がありますね、途中経過を話し、相手の反応をみながら結論を変えられます。英語とかですと、最初に結論、そしてそれは何故なのかどのような理由からそういう結論に至ったのかを説明します。
だからNon Japaneaseの方々とのコミュニケーションでは相手から「何故?」と聞かれるケースが多々あります。日本人は何故?って聞かれる習慣がほとんどないですから、慌ててしまうことがよくありますね・・・。
自分で興味を持ち、その探求をし、自分の得意を創りだしていく。
だから何故?の質問に対しても、常に自分自身のことなのでスムースに話も出来、相手もその人のことを認識できるわけですね。
日本のサラリーマン世界は多くの人が自分自身の考え方や意見を殺し、上に従う、そして従っていれば自分も上に行ける、これが少なくとも過去の実態で、現在に続いているケースも多々あると思います。
日本の教育の場においては、成績の為に勉強になっていて、答えを教えてもらい解き方を覚えるのが実態ではないでしょうか。
だから、試験などの時は解答(覚えている記憶から)出来るのですが、時間の経過と共に忘れてしまうことが多いのではないでしょうか。
数学で例えると公式を暗記して、公式にあてはめて解答するということです。
ですが、本来自分自身が探求するということは考えて理解を深め自らが公式を導き出すことが出来る、だからこそ学んだことが応用出来る。これが教育なのではないでしょうか。
しかも、その探求というものは自己の責任において選択した興味が対象です。その興味も生活の中から自らがみつけていくものではないでしょうか・・・

夏になると毎回子供の頃の自分になりたいと思う私です^^:

祖父母・両親・姉妹で食べたスイカや昼寝の時間にこっそり蝉取りに励んで
母に叱られた事など懐かしいな^^:

今回の記事とっても惹かれます^^

自由に対して、責務を果たすのも当然大事なんだけど、他人を尊重できてこその、自由のように思います。 すべては、そこから始まるのでないかと。
日本だけでなく、考え方や、行動、生活の中での価値が多様化しているとき、自分たちと違うということで、いじめるという行動は、他人の存在を尊重しないところから始まっている。 
これこそ、みんな一緒教育の弊害のように思います。
みんな違うし、得意なところも、不得意なところも違うし、顔も違うし、体も違う。
違うことに、自分が生きている意味があるのに(生物的に見ても、例えば、遺伝子が同じ場合は、環境変化で滅亡する可能性が高い)、違うことを尊重しない。
それを理解できない人たちには、責務を果たす行動をしたところで、真の意味を理解できないのでないかと思うのです。

安藤さん

>日本語そのものにも特徴がありますね、途中経過を話し、相手の反応をみながら結論を変えられます。>英語とかですと、最初に結論、そしてそれは何故なのかどのような理由からそういう結論に至ったのか>を説明します。
うん♪ すごく分かり易い例えですね(^^)
ガリガリ君を食べたので少し頭も冴えてきました(笑)
『Identity=自分らしさ』とここでは訳しておきましょう。
私は欧米人ではありませんので、自分らしさを日頃から追い求める習慣がありません。典型的な日本人ですので『個』を前面に押しだすこともありません。もう少し範囲をアバウトにし考えますと、私が心に抱く自分らしさとは『日本人らしさ』ということになります。
もし、ビジネスや経済が物事の全てで中心であるとした考え(それを何ら否定しませんけど)でしたら、私も迷わず欧米式の考え方を取り入れるかも知れません。けれども私はそれらが物事の全てで中心とは考えませんし、少なくとも文化的な慣習まで欧米化する必然性を少しも感じません。もちろん外交辞令的な観点から相手に合わせる、というのはまた別ですよ?
では『日本人らしさ』とはどういうことでしょう?
実は、私も正直本当の意味での日本人らしさを分かっていません。けれどもご想像ください。英国に住む生粋の英国人が和服を着て自宅に日本庭園を造り日本茶を飲んでいるシーンを・・・。そしてちょんまげ姿で日本にやってくるのです。ほとんどジョークですね(笑)
これを逆に日本人に当てはめたらどうでしょう? 極端な例えですけれども…。私が思う『らしさ』とは、言い換えれば、その国々の独自の文化に見合った『らしさ』ということなのです。言語、物事の尺度、価値観はそれぞれの文化慣習により異なります。これは安藤さんが仰る通り、必然ですね。ですから日本語や日本の慣習もまた必然であることから、英語と日本語のコミュニケーションに於いて互いにジレンマを感じるのもまた必然なのではないでしょうか? これにはどちら(英語のようにまず答えを先に出すか日本語のように後で出すか)が正解か不正解かはありません。時間をかけ、お互いの文化を尊重しながら解決しなければいけないことだと私は考えます。上手く言葉で表現できませんけれども、欧米的な物事の考えが良い時もあるし、そうじゃない時もある、ということではないでしょうか。日本語も然りです。
さて『Identity』に話を戻します(笑)
閉塞的な日本の社会(組織)システムの中で、誰しも自分らしさを失うまいと、もがき苦しんでいます。自分の信念を信じ、ひとりでゆがんだ社会に闘いを挑む人も或いはいるかも知れません。もし彼に守るべき人がいなければ、という注釈つきですけど。
日本は組織を重視し、その分反抗分子に対しても組織で対抗します。ここがたぶん欧米との違いですね。『個』が相手ではなく『組織』が相手ですから。闘いどころか『個』で主張を展開する事さえ日本では非常に難しいのではないでしょうか?
>日本のサラリーマン世界は多くの人が自分自身の考え方や意見を殺し、上に従う、そして従っていれば>自分も上に行ける・・・。
私はこの現実を非難することが出来ません。前述しましたように、彼らには、守るべき愛する人(家族)があるからです。必死に自分を殺してまで家族を守ろうとする人に、剣を持ち闘え!と誰が言えるでしょうか?
>数学で例えると・・・。
♪は得意ですけれども数学は大の苦手ですので、これは割愛ということで(^^;)
う~ん♪ なかなか『表ブログ』らしい?会話になってきました(笑)
『裏』ではあり得ませんものね?(^^)

die frauさま♪

こんばんは(^^)
夏だけではなく、一年中子供の頃の自分になりたい、と考えている杏です(笑)
セミの音を聞いたり、虫取り網を見ているだけで子供の頃にタイムスリップしてしまいます(^^)
不思議です・・・。
無垢な子供たちと接していますと、胸の焦げ付きを覚えます。
ちょっと歳をとったせいでしょうか?(爆)
う”~っ! まだまだ気持ちだけは十代でいたいですぅ~~(冷や汗)

Nobuさん

とうとうガリガリ君も2本目です・・・。
今ハチマキ巻きました~(爆)
さてと(笑)
え~と、今度は、他人の存在を尊重する、ですね(^^)
>違うことを尊重しない
まさに1000%同意いたします。
つまり『自由』には『責任』が生じ、その『責任』には、他人を敬い、尊重する事をも含むのです。
でもそこが難しいですね。相手の考え(見解)を肯定することが必ずしも尊重を意味しませんし、
逆に否定することが、必ずしも尊重しないことを意味しないからです。
そこで日本人はうまい方法を編み出しました。否定していても肯定する(フリ)をするんです(笑)
それでいいんじゃないかと思います。狩猟民族ではなくって農耕民族の私としては・・・。
ふ~っ・・・(汗)
今何時? そ~ね大体ね~♪
サザンの『真夏の果実』くらい知ってますからね?(笑)←私たち以外に分からないネタ(^^;)

おはようございます。
昨夜はお疲れさまです。
将来の子供達の為に・・・をテーマにしてきました。
ですから、現代の子供達がそれぞれの個を認め合い(尊重し)自分らしさを大事にしてもらいたいということですね。
サラリーマンが守るべき人がいるから組織に従うという時代は本来、日本経済が高度経済成長にあった頃は良かったと思います。どういう意味かというと、需要と供給のバランスのことで、需要が多く供給が少ないからこそ大量生産が必要になり多くの人々を雇用し成立したということです。ですから組織型=上からの指示待ちで良かったと思います。
しかし、現代は供給飽和状態(日本)ですから、ワールドワイドのマーケットを視野に入れ需要が満たされていないマーケットにおいて供給する体制をとらなければならなくなっています。ですからトヨタにしても日本の主力企業は海外マーケットに参入するわけです。このような時代に求められるサラリーマンは指示待ちではこまるのです。競合他社とのある意味スピード競争ですから、自らが判断出来る人財(人材ではなく)が必要なのです。即ち指示待ちが人材です。
もっと根本的には国家の成立条件に大きな要素となっているのが財源です。
即ち我が国では税金ですね。ですから企業が元気でないと国家の財源が不足するということになり、これは明るい未来に繋がらない原因になってしまいます。
ですから、宗教や思想、文化そして伝統を重んじ、目指すべきワールドワイドで必要なことは人々の役に立つ供給こそが需要に応えることで財源をも確保および成長出来るのだと思います。ですからジェエラルではなくスペシャリスト=専門性を尊重しそれぞれがワールドワイドのマーケットで成果が出せる、即ちワールドワイドの人々の需要に応えられる人財がこれから必要だと思います。
その為に人財を育てるために教育があり、それぞれの個を認め合い尊重することで個性が磨かれそこから専門性が高まっていくのではないでしょうか。
子供達の未来の為に我々が出来ることなのではないでしょうか。

私もNobuさんの意見に100%同意です。
言葉を換えれば自由といっても「他人の自由を侵してはならない」という制限があるって
ことなんだと思います。たぶんこの辺が「自らを由として生きる」難しさなのだと思います。

安藤さん

こんばんは(^^)
テーマを今回の記事『子供は世界の宝物』に少し戻します(笑)
子供たちとの何気ない触れ合いを通じ、私はある種の幸せを彼らからもらい、純粋無垢な彼らの
瞳に未来への希望を感じました。子供と接していると癒される理由がそこですね。私たち大人が
失ってしまったものを彼らは持ちあわせています。
そんな彼らの未来には、多くの苦難が待ち受けているはずです。
経済的な苦難。人種的な苦難。そして何より憂慮されるのが地球環境の破壊・・・。
画一的に、グローバルな経済の発展を国家戦略とする以前に、多様な方法論で地球環境の保
護を(地球的)戦略とする事の方が優先順位が高いのではないでしょうか?
綺麗な空気と水。豊かな緑。燦燦と降り注ぐ太陽の光―――。
もしかしたら、近い将来それらのひとつが失われてしまうかもしれません。それでも沈没しそうな
箱舟の中で札束を数えようとするのなら、それはもはや盲目以外の何物でもありません。
しかしながら、残念なことに経済的な成功を唯一の目的とする現在の社会システムの中で私た
ちは生かされているのもまた事実ですね。
では、『環境』と『経済』を一気に解決する方法はないのでしょうか?
重要なマーケットとして中国やインドに物を売りつけるだけでいいのでしょうか? 昭和の時代、
経済の復興を見事に成し遂げた団塊世代以上の方々は、後ろを見ず、常に先頭を走るランナー
を追い続けてきました。経済的な観点から言いますと、彼らの功績を抜きにして現代の日本はあ
り得ませんね。
でも今は違います。
後ろから追いかけてくるランナーを振り向き、今の順位を守ることに必死になっているような気さ
えします・・・。
>ジェエラルではなくスペシャリスト・・・。
環境破壊を修復する技術。地球に優しい工業製品を開発する技術。化石燃料に替わるエネルギ
ーを創出する技術。そのためのスペシャリスト養成を国家戦略の要に提唱するような政治家はオ
リンピックなど目指さないでしょうし、地球規模で環境を考えない政治家は永田町と選挙区以外に
は気を配ることをしないでしょう。
>子供達の未来の為に我々が出来ることなのではないでしょうか。
些細なことにも喜びを感じる感性を育ててあげたいと個人的には思います。たったジュース一杯で
も笑顔を弾かせるような鷹揚な感性です。そして私たちに出来る唯一のことは、豊かな緑と空気
と水を彼らに残してあげることだと思います。
そして彼らにこう語りかけましょう。
『あなたたちが地球を守るのよ!』
それとも『ビジネスで成功し、お金持ちになるのよ!』でしょうか?

夢野途中さん

こんばんは(^^)
昨日から続く『自由論』についてそろそろ総括に入りたいと思います(笑)
>自由といっても「他人の自由を侵してはならない」という制限がある
当然ですね。
それでは、議論も出尽くしたと思いますのでまとめに入ります。
↓↓↓
『自由とは、決して後悔しないもの』
ん? どこかの古い映画の宣伝文句みたい(^^;)
これじゃ総括になってない?

そりゃ、愛やろ・・・
早乙女愛さん、ご冥福をお祈りいたします。
好きやったなあ・・・、とってつけたような名前と、ダイナマイトボディ・・・

皆さんのお考えやご意見はごもっともなんです。
私もそれを前提にしています。
先ず、ビジネスというものを皆さんはどのように捕らえていらっしゃるのか?
私は物売りのビジネスは既に崩壊したと認識しています。
重要なことは「人の役に立つ」ということなのです。
ですから、営業は物売りの押しつけをするのではなく、お客様の需要は何んなのかを理解しなければなりません。「理解」とは因果関係と因果における様々な影響を明確に把握するという定義です。マーケットというものもビジネスかぶれしてしまうと売買取引などの印象があるかと思いますが、その視点とは別にマーケットで評価されるということは買い手側、即ちお客様の需要を満たすから買うのであって、売りつけられて買うのではないということです。マーケットで評価されてシェアを拡大するということはもはや現代においては需要を満たすものでなければ成立しないのです。
売り手市場の時代は既に終止符です。
ということは、今度は組織の話ですがお客様を理解する必要が無かった時代、それは需要に対して供給が追いつかない時代を意味していて、何でも製造すれば売れる時代だったということです。ですから、この頃の組織は指示待ちの人材で良かったのです。
今や供給過多となり個々の需要を理解しなければ、人の役に立たないということになりますから、単なる押しつけの営業ではなく、自らがお客様と接しお客様の需要を理解しなければなりません。そしてその需要を理解することにより、お客様が求めているものをそのまま提供するのではなく、その期待値をも把握しその期待値を超える供給提案をし、お客様から感動されることこそが、「人の役に立つ」という定義で前述してまいりました。
また、人の役に立つということは、人に優しく、地球に優しくなければ人の役に立つということには成り得ません。ですから、戦略という言葉もビジネスチックにとらえて頂きたく無いのです。戦略ということは企業理念などから目標や目的を明確にし、それを全社で共有し、最小限の予算で、最大限の成果を出す為の実現計画のことをさします。
最小限の予算ということは、コスト削減を意味するものではなく、付加価値を定義しその付加価値を成果として実現する為に必要なものを具体的にし、無駄を省くというものです。無駄というのは付加価値という成果とは因果関係が成立しないものをさします。

ですから、現代の子供達に自分達の生活の中から興味を持ったことを探求していけば社会の仕組み(それぞれの目的やそれぞれの役割)を必然的に理解していき、自分自身がどの分野で成果を出していくのかを成長すると共に身に付いていくと思っています。
従って学科という単位で個別に評価するのではなく、それぞれの学科は因果関係があり、それらのコラボレーション及びミックスによって生活が成り立っているということを子供達に認識してもらえるような教育が必要だと思います。
その教育が人財をつくりあげると思うからです。
また「他人の自由を侵してはならない」これはある意味当然なのですが、別の解釈が私にはあります。それは、その他人の自由により人に役に立つことをしていても、それ以上に人の役に立つことを供給や提供出来るのであれば、侵すべきものであるということです。これがこの世の中の社会の日々の変化であると言えます。
具体的には"PEST"(ご存知かと思いますが念のため)
・政治(Politics)
・経済(Economics)
・社会(Society))
・技術(Technology)のことです。
そうですよね、このような意味で言われたのではないと私は認識しています。
もっと根本的に言えば、やはり人の役に立つということです。
最後に付加価値の定義について補足させて頂きますと、付加価値とは機能、品質、価格、納期、利便性、迅速対応、信頼性、ブランドの8つをさします。
これらは私の持論ではなく、主にMBA取得の一般的内容からの抜粋です。


最後に
ビジネスは金儲けではありません。
人の役に立つこと「してあげるではなく、させて頂く」です。
また、買い手側がその貨幣価値を決めるものです。

本当に最後です。
「経営」とは「社会貢献を継続的に行う」ことです。
「金儲けではありません」
最も重要なのは継続的ということです。
言うまでもなくとても深いです。継続するということは、単発の一発儲けではないということが明らかです。常に社会貢献レベルを上げ続ける努力は必須ですね!
それを実現し続けてこそ、継続です。
皆さん、長々と申し訳ありません。
内容が深くなればなるほど、Web上では難しくなります・・・。
大手上場企業様などで講演しておりますので、お会いすることもあるかと思います。
失礼致しました。

Nobuさん

>そりゃ、愛やろ・・・。
ビンゴ~!(^0^)
さすが父の世代♪ 知識幅が広いです(笑)
ところで今日もガリガリ君を持参し子供たちのところへ・・・。
そこへ彼らのママが現れ、撮影はお喋り大会に急遽変更されました(爆)
ガリガリ君は、ちゃんと子供たちにあげましたので、ご心配なく(笑)
でも案の定、子供たちは『ソーダ味しかないの?』と不満をを述べておりました(^^;)
我がまま言うな~!!(笑)

安藤さん

こんばんは(^^)
ちょっと舌足らずでした。
『経済=経営』とは『社会へ貢献』」すること。これは安藤さんが日頃から仰っていることですね。
私も表現ベタなので上手く伝えられませんでした(汗)
もちろん『経済』も重要なツールには違いありません。常に社会への貢献を意識した経営こそ経
営者自らが強く意識して欲しいと思います。
そして何より、『社会への貢献』の最優先順位が『環境問題』であってくれたら、と願います。
安藤さんはそういった経営者などを相手に講演などをなさっているのですから、私以上にそんな
考え(危機)をお持ちだと想像しています。
一度、講演に参加してみたいです。
でもダメか・・・(^^;)
私『経営』は素人だし(汗汗・・・エヘヘ)
本業は・・・・あ”っ!これは内緒でした・・・・・・。

杏さん

フォローありがとうございます。
細かいことですが、「経済」と「経営」は違うものなんです・・・。
ちなみに、企業様での講演にご参加頂くことは難しいのですが、講演とかではなく、一度対面して語り合いをさせて頂けたなら幸いです。
メールにてご都合などお聞かせ頂けませんか?
もちろん、No thank you.でしたら、その限りではありません。

安藤さん

>経済と経営は違う
あらら(汗) 私って、オバカさん(^^;)
↑↑↑
笑って許してね♪
>一度対面して語り合いをさせて頂けたなら幸いです。
それをやったら私の素性がバレてしまうじゃないですか~!!(爆)
危ない^^;危ない^^;
でも、今回みたいにこの場で語り合うのは大歓迎なんです(^^)
ブログの開設者(私)が開設者ですから(オバカさん)
ここへはそんな私にハラハラドキドキして放っておけない知的な紳士淑女がたくさん
いらっしゃいます。安藤さんもそんなお一人ですね。
そして皆さんから色々とご教授頂いているんです(^^)
逆に私がお教え出来ることといったら、お料理のことくらいでしょうか?
誰も聞いてくれませんけど(^^;)

杏さん

杏さんの頭の切れ、尊敬致します。
相手を常に立て、自分は馬鹿(謙虚)に振る舞う、利口な方でないと出来ないことです。
それに心の器が大きいです、写真にもそれが表現されていて、本当に尊敬しています。

私は未だ未だです。
只、本物の馬鹿なのでやたらに情熱的なだけです。
お料理は是非御馳走してください。

>さすが父の世代♪ 知識幅が広いです(笑)
あのな、どんな世代にも、バイブルともなるコミックであったり、小説であったり、映画や、アニメというのは、存在するものよ。ある世代にとって、愛と誠は、そんな物語なのよ。岩清水のキャラが、懐かしい。(^_^;)

安藤さん、
嫌な人の自由を犯してまで、主張する個人の権利というのは、存在しない、してはいけないと思いますよ。 そこに議論があって、最終的に納得しないと。
それを成し遂げるのは、理論でも、合理性でも、なんでもない。
それを成し遂げられるのが、リーダシップというものだと思います。
また、貴族制度はなくなったけど、社会で働くということ、企業経営するということは、noblesse obligeの実践であり、決して、誰かに無理強いを、強いるものは、長続きしない。そういうことが生じると、北の将軍様のやっていることと、本質的に変わらなくなるように思います。
ただ、大きな問題は、社会への奉仕という概念が、これから世の中を担っていく人にあるのか、いや、こういうものは、生まれつき持っているものでなく、それこそ教育の賜物であると思います。

安藤さん

>お料理は是非御馳走してください。
はい。それはまずカレーから(爆)←誰でも作れる?(^^;)
ちなみに父はカレーが大好きですけど、ハウスのバーモントカレーじゃないと絶対に駄目!だと
注文を付けてきます(笑)
子供の頃に食べた味が何といっても一番なんですって(^^)
でもこれは分かる気がしますよね?(^^)

Nobuさん

「嫌な人の自由を犯してまで、主張する個人の権利というのは、存在しない、してはいけないと思いますよ。 そこに議論があって、最終的に納得しないと。」
これは、私が納得していないという意味で、記されたのでしょうか?
まったく同意しております。というかそうでなければ社会貢献にもなりません。
また、「企業経営とはnoblesse obligeの実践」とありますが、ワンマン経営」ならばそうかもしれませんね。本来、noblesse obligeは貴族の特権などの保持に関わる責任を意味するものであると認識しています。
それと、社会への奉仕と仰られていますが、奉仕とは「利害から離れる」という意味を持っているのではないでしょうか。極論で言えば「無償」ということになるのではないでしょうか。現代社会においては「無償」ほど無責任なものはないと認識しております。


Nobuさん

バイブルがバイブに一瞬見えてしまった私のことはさておいて(笑)
『愛と誠』・・・・・????
おや? 私は『ある愛の詩(うた)』のつもりで・・・・(汗)
それで早乙女愛さんだったのね!?
『ある愛の詩』とは父が大好きだったふるい映画で、その宣伝文句(昔の映画のビラを父が大切に
持っています)に『愛とは、決して後悔しないこと』とあったんです・・・。
お互いにボタンのかけ違いをしながらも会話が成立してたなんて・・・。
なんだか夫婦みたいね?(^^;)
こら~!! 何嫌な顔してるのよ~!!!(爆)
PS
まだ『自由』についての論議が続いている模様・・・。
それではそれの答えが聞ける講義を私が開催しましょう♪
講義名は『自由と自由の闘い』です(笑)
参加費用はナシ。場所は近所の公園での屋外開催になります。講師は私と子供たちです。助手を
子供たちのママが務めます。炎天下の講義になりますので冷えピタと虫除けスプレーをご持参くだ
さい。尚、天候によってはセミとり大会か井戸端会議に変更となる場合がかなりの可能性でありま
す。また、当日ガリガリ君を持参しますと特典として講義の内容が『自由な恋愛』に格上げされます。
さらにガリガリ君をソーダ味以外各種持参されますと、『中山杏を自由にする』」権利が与えられます。
ただし、その場合の講義場所は個室に変更なりますのでご注意ください。
これくらいで、やめておく?(笑)

>社会への奉仕
企業の活動は、社会への奉仕から成り立つものです。 そこに利益をいただくことは、その活動が、ある意味、正しいことであることの指標でもあります。ドラッカーの受け売りですが・・・
社会の奉仕、無償というわけでありません。活動が生み出す付加価値に対価するものは、必要です。でないと、そんなものは、長続きしないです。

『ある愛の詩』・・・
これも、バイブルのひとつかもしれんけど、設定が自分の時代では、違う世界であったから、すこし背伸びした雰囲気ですね・・・
たしかに、愛とは、決して後悔しないこと・・・というせりふがあったと思います。
ただ、当時、日本語で、このせりふ聞いても、ぴんと来なかったのよね・・・(^_^;)
まだ、幼かったのでしょう・・・

Nobuさん

実際のところ、利益を出すというのは容易なことではありません。
確かに仰るとおり、ある意味正しいことである指標なのですが・・・。
利益を出すか出さないかは付加価値生産量と付加価値供給量とのバランスの問題ではないでしょうか。即ちCVPの意味です。
社会の実態としては、CVPに関係なく嘘偽りの付加価値で不当収益を上げる企業もありますからね。

私は日頃から経営の難問はManagementだと思っています。
具体的にはExternal及びInternalのUncontrollableをControllableにすることです。
そこには権利主張と利害が絡みので難問としました。

皆さん

誤解して頂きたくないので、2010年8月 6日 (金) 22時30分の私のコメントをご覧下さい。下記に抜粋しました。
私にとって仕事に関係しますので、明確にさせて頂きたく思います。

「それぞれの個人がそれぞれの考え方や意見などなどがあって当然ということを認識出来る環境も重要だと思っています。そうしないと皆と違うことをするなどがきっかけで「いじめ」が起きたりする現代を是正することが難しいと思います。
お互いがそれぞれの個人を認め合う環境が必要ではないでしょうか。」

安藤さん

誰も誤解なんてしてませんよ~(^^)
私が思いますには、安藤さんのお考えも、Nobuさんのお考えも、他の方のも含めましてすべて正解
なんだと思います。皆さん真摯にこの問題に対しての意見を発信されています。健全な論議が展開
されているなぁ~と私は感心して(自らも参加して)見ていました。
こうやって多様な意見がどんどんブラッシュアップされ真理に近づいていくんですね。きっと。
少しは国会の議員さん(全員とは言いません)にも見習ってほしいものです(笑)
新しい記事?を投稿しました。
恐ろしい雪女が写っていますので是非ご覧ください(^^)

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